最終更新: ikusaglmaikusaglma 2023年11月17日(金) 09:42:32履歴
撤退とは敗北ではなく、
次なる戦への
前進である。
劇的な撤退 | |
コスト:1 | スペル |
---|---|
クラス | ロイヤル |
レアリティ | シルバー |
タイプ | - |
パック | レヴィールの旋風 |
CV | - |
イラストレーター | |
自分のフォロワー1体を消滅させる。 それと同名のフォロワー1枚をデッキに加え、そのコストを0にする。 カードを2枚引く。 |
このカードを使って0コスにしてデッキに埋めたカードだが、なんと残りPPが0の時に不朽の王城を使うと場に出す事ができる。これに抜刀術を組み合わせた抜刀撤退王城なるコンボが爆誕。抜刀術で出すフォロワーを舞い踊る刃・ディオネにして、事前に王家の御旗か機動二輪車を設置する事によって6ターン目にOTKをする事も可能に。
ちなみにこれは「元のコスト〇の」ではなく「コスト◯の」「コスト◯以下の」とテキストに書かれているカードなら他のカードでも引っ張ってくる事ができるので、デッキに埋めてさえしまえば例えば騎士王・アーサーでレオニダスだろうがレイサムだろうがアルベールだろうが約束の地を目指す事ができる。だから何だという話だが。
さらにその後、疾走&攻撃時能力でPPを回復できるアックステイカーが登場。
デッキ内のフォロワーをアックステイカー一枚に絞り、抜刀術で早出ししたアックステイカーを撤退させ、わがままな呼び出しなどのサーチカードで再登場させたり、分身の術などで攻撃回数を水増ししてOTKするコンボ特化デッキが成立した。必要パーツが多く不安定なものの、最短5ターン目にOTKを食らわせられる地雷デッキとしてランクマッチに出没した。
さらにさらにその後、疾走と、プレイ時にナテラの大樹廃棄で3PP回復ができる光耀の標・ミストリナ&ベイリオンも登場。アックステイカー同様に、デッキ内のフォロワーをこれ一枚に絞り、デッキに撤退してはサーチするループコンボで最短6ターン目にワンキルするデッキがローテーションで構築可能になった。ローテーション!?
ちなみにこれは「元のコスト〇の」ではなく「コスト◯の」「コスト◯以下の」とテキストに書かれているカードなら他のカードでも引っ張ってくる事ができるので、デッキに埋めてさえしまえば例えば騎士王・アーサーでレオニダスだろうがレイサムだろうがアルベールだろうが約束の地を目指す事ができる。だから何だという話だが。
さらにその後、疾走&攻撃時能力でPPを回復できるアックステイカーが登場。
デッキ内のフォロワーをアックステイカー一枚に絞り、抜刀術で早出ししたアックステイカーを撤退させ、わがままな呼び出しなどのサーチカードで再登場させたり、分身の術などで攻撃回数を水増ししてOTKするコンボ特化デッキが成立した。必要パーツが多く不安定なものの、最短5ターン目にOTKを食らわせられる地雷デッキとしてランクマッチに出没した。
さらにさらにその後、疾走と、プレイ時にナテラの大樹廃棄で3PP回復ができる光耀の標・ミストリナ&ベイリオンも登場。アックステイカー同様に、デッキ内のフォロワーをこれ一枚に絞り、デッキに撤退してはサーチするループコンボで最短6ターン目にワンキルするデッキがローテーションで構築可能になった。ローテーション!?
軍事作戦において、最も難しい作戦は撤退戦であるとしばしば言われる。
戦線の維持・拠点の防衛が困難になった時、そもそも戦争どころじゃなくなった場合に接敵したまま兵を退くことになるわけだが、当然敵は追撃を狙ってくる。その中でいかに被害を最小にとどめ、かつ迅速に撤退を完了させるかはまさに指揮官の腕の見せ所といえるだろう。
以下に有名な“劇的な撤退”戦をいくつか紹介する。
戦線の維持・拠点の防衛が困難になった時、そもそも戦争どころじゃなくなった場合に接敵したまま兵を退くことになるわけだが、当然敵は追撃を狙ってくる。その中でいかに被害を最小にとどめ、かつ迅速に撤退を完了させるかはまさに指揮官の腕の見せ所といえるだろう。
以下に有名な“劇的な撤退”戦をいくつか紹介する。
かの織田信長が行った有名な撤退戦。越前(今の福井あたり)の大名・朝倉義景を攻撃していた織田軍は快進撃を続け、朝倉軍の本拠地一歩手前の金ヶ崎城を占拠した。
しかしそこで信長のもとに急報が入る。妹婿であり、信頼していた同盟者である大名・浅井長政(今の滋賀県あたりの大名)が裏切り、朝倉方に加担。しかもあろうことか軍を動かし織田軍の後方を脅かそうとしているという。前から朝倉、後は浅井とまさに袋のネズミ状態になった信長は撤退を即決するが、ここで信長が採った戦術が「殿(しんがり)」である。
これは少数の兵を残し、時間を稼いでる間に本体が逃げのびるというもの。当然ながら殿は敵の大軍に包囲されることになるため、生還が絶望的ないわば捨て石作戦。
この時殿役を任され、金ヶ崎城に残ったのが羽柴秀吉、後の天下人・豊臣秀吉である。秀吉は朝倉軍を翻弄しつつ*1、見事本体撤退の時間稼ぎのみならず自軍の脱出も成功・無事生還したのだった。
しかしそこで信長のもとに急報が入る。妹婿であり、信頼していた同盟者である大名・浅井長政(今の滋賀県あたりの大名)が裏切り、朝倉方に加担。しかもあろうことか軍を動かし織田軍の後方を脅かそうとしているという。前から朝倉、後は浅井とまさに袋のネズミ状態になった信長は撤退を即決するが、ここで信長が採った戦術が「殿(しんがり)」である。
これは少数の兵を残し、時間を稼いでる間に本体が逃げのびるというもの。当然ながら殿は敵の大軍に包囲されることになるため、生還が絶望的ないわば捨て石作戦。
この時殿役を任され、金ヶ崎城に残ったのが羽柴秀吉、後の天下人・豊臣秀吉である。秀吉は朝倉軍を翻弄しつつ*1、見事本体撤退の時間稼ぎのみならず自軍の脱出も成功・無事生還したのだった。
戦国時代からもう一つ。かの「関ヶ原の戦い」で西軍・島津軍が見せた驚異の撤退戦をご紹介したい。
西軍方についていた薩摩(鹿児島)の大名・島津義弘は西国屈指の実力者であったが、色々あって兵をちょっとしか連れてこなかったので島津軍は西軍首脳から軽んじられ、それに反発した島津もやる気なく早々に様子見を決め込んでいた。
しかし日本史上最大の規模の会戦となった関ヶ原は、予想と裏腹にその日の昼過ぎには大勢が決し、西軍は総崩れに。いくらやる気ないとはいえ島津は西軍方に所属しており、しかも戦場のど真ん中で少数の兵で孤立した状態に。東軍の徳川家康は前々から島津を危険視していたので、この機にやっちまえ的な感じで投降できる様子でもなかった。そこで島津義弘が打ち出した作戦が、前代未聞の敵中正面突破による撤退である。ちなみに島津兵は300程度、東軍は総勢8万、普通に考えれば不可能。それを可能にしたのが戦国最強の戦闘民族とも言われた薩摩隼人たちだった。
まず旗指物を全部捨て、戦場の混乱に乗じて東軍内に乱入。東軍側もまさか300で突っ込んでくるとは思っておらず、また島津兵の迫力にビビった兵たちが道を開けてしまい、突入には成功した。しかし島津軍の進行方向には家康本陣もあり、流石にやべえということで経験豊富な井伊・本多ら東軍諸将が追撃に乗り出す。数が違い過ぎるうえに狙いをつけられたら流石の島津軍ももはやこれまで…そこで大将・義弘だけでも逃げ切ってもらおうと義弘の弟・豊久が殿(しんがり)を買って出たのだが、そこで行った豊久の作戦が尋常ではなかった。「捨てがまり」と言われる薩摩兵にしかできない狂気の足止めである。
やり方は、数十人の兵が本隊から分離し、草むらなどに座り込んで火縄銃を発砲。*2これが非常に精度が高く、東軍側の指揮官も狙われバッタバッタ倒れた。*3そして距離が縮まると全員で突撃し東軍兵を切りまくる。全員死ぬ気なうえにめちゃめちゃ強いので東軍はここでも大打撃を受けたという。そして全滅したら次の捨てがまりが…という具合である。島津軍のあまりのガンギマった戦いぶりに東軍兵は戦慄。追撃の手はかなり緩まった。豊久以下島津の捨てがまり兵は全員戦死したが、その甲斐あって義弘は家康本陣をすり抜けるように戦場を脱出。無事薩摩まで帰還した。島津軍がもし気が変わって本陣へ突入してたらと思うと、家康もさぞお腹が緩くなっていたことだろう。*4
西軍方についていた薩摩(鹿児島)の大名・島津義弘は西国屈指の実力者であったが、色々あって兵をちょっとしか連れてこなかったので島津軍は西軍首脳から軽んじられ、それに反発した島津もやる気なく早々に様子見を決め込んでいた。
しかし日本史上最大の規模の会戦となった関ヶ原は、予想と裏腹にその日の昼過ぎには大勢が決し、西軍は総崩れに。いくらやる気ないとはいえ島津は西軍方に所属しており、しかも戦場のど真ん中で少数の兵で孤立した状態に。東軍の徳川家康は前々から島津を危険視していたので、この機にやっちまえ的な感じで投降できる様子でもなかった。そこで島津義弘が打ち出した作戦が、前代未聞の敵中正面突破による撤退である。ちなみに島津兵は300程度、東軍は総勢8万、普通に考えれば不可能。それを可能にしたのが戦国最強の戦闘民族とも言われた薩摩隼人たちだった。
まず旗指物を全部捨て、戦場の混乱に乗じて東軍内に乱入。東軍側もまさか300で突っ込んでくるとは思っておらず、また島津兵の迫力にビビった兵たちが道を開けてしまい、突入には成功した。しかし島津軍の進行方向には家康本陣もあり、流石にやべえということで経験豊富な井伊・本多ら東軍諸将が追撃に乗り出す。数が違い過ぎるうえに狙いをつけられたら流石の島津軍ももはやこれまで…そこで大将・義弘だけでも逃げ切ってもらおうと義弘の弟・豊久が殿(しんがり)を買って出たのだが、そこで行った豊久の作戦が尋常ではなかった。「捨てがまり」と言われる薩摩兵にしかできない狂気の足止めである。
やり方は、数十人の兵が本隊から分離し、草むらなどに座り込んで火縄銃を発砲。*2これが非常に精度が高く、東軍側の指揮官も狙われバッタバッタ倒れた。*3そして距離が縮まると全員で突撃し東軍兵を切りまくる。全員死ぬ気なうえにめちゃめちゃ強いので東軍はここでも大打撃を受けたという。そして全滅したら次の捨てがまりが…という具合である。島津軍のあまりのガンギマった戦いぶりに東軍兵は戦慄。追撃の手はかなり緩まった。豊久以下島津の捨てがまり兵は全員戦死したが、その甲斐あって義弘は家康本陣をすり抜けるように戦場を脱出。無事薩摩まで帰還した。島津軍がもし気が変わって本陣へ突入してたらと思うと、家康もさぞお腹が緩くなっていたことだろう。*4
時は第二次世界大戦。「電撃戦」を展開したナチス・ドイツ軍はソッコーでフランスとベルギーをボコボコにし、さらにドーバー海峡まで進出。連合国軍の残存勢力約40万人はフランスとベルギーの境くらいにある港町・ダンケルクに完全包囲されてしまった。
これを救おうと立ち上がったのが海の向こうのイギリスである。あらゆる船という船を総動員してダンケルクまで乗りつけて海路でイギリスへ脱出を目指す「ダイナモ作戦」を実行した。
対するナチス・ドイツ、ここで自慢の機甲兵団をぶつければ恐らくこの撤退戦は大失敗に終わっていただろうが、後の反攻に備えて消耗を避けたかったドイツ軍は地上海上戦をやめ、爆撃機による絨毯爆撃を選択*5。砂浜が爆弾のクッションになり威力を抑えられたのと、支援したイギリス空軍の奮闘、そしてカレー(図の左側)に囮として居残ったイギリス軍の犠牲もあり、多大な損害は出したもののダンケルク残存兵の大半を救出することに成功した。
これを救おうと立ち上がったのが海の向こうのイギリスである。あらゆる船という船を総動員してダンケルクまで乗りつけて海路でイギリスへ脱出を目指す「ダイナモ作戦」を実行した。
対するナチス・ドイツ、ここで自慢の機甲兵団をぶつければ恐らくこの撤退戦は大失敗に終わっていただろうが、後の反攻に備えて消耗を避けたかったドイツ軍は地上海上戦をやめ、爆撃機による絨毯爆撃を選択*5。砂浜が爆弾のクッションになり威力を抑えられたのと、支援したイギリス空軍の奮闘、そしてカレー(図の左側)に囮として居残ったイギリス軍の犠牲もあり、多大な損害は出したもののダンケルク残存兵の大半を救出することに成功した。
時は太平洋戦争、ミッドウェー海戦の敗北から急速に旗色が悪くなっていった日本軍は、あまりに広げ過ぎた戦線をもはや維持できなくなっていた。
アリューシャン列島のキスカ島はアラスカに近く、アメリカ本土を脅かす位置にあり真っ先に反攻戦のターゲットに。お隣のアッツ島も守備隊が全滅し、キスカに陣取る日本陸海軍約1万名は完全に孤立してしまった。この状況を見た帝国軍大本営もついにアリューシャン放棄を決定。そこでキスカの将兵を救うべく「ケ号作戦」が発動された。
と言ってもキスカ島は制海・制空権を完全に奪われていた為、正攻法では撤退は不可能。そこで潜水艦によるピストン輸送が立案された。が、これはあえなく失敗に終わる。何度か収容は出来たもののあまりに運べる人員が少なすぎ、そうこうしてるうちにアメリカ海軍の哨戒に引っかかって潜水艦隊は壊滅してしまったのだった。
もはやこれまでなのか…と思われたが、ここで第2案。夏にキスカ周辺でよく発生する濃霧を利用した突入作戦が考えられたのだ。
スピード重視の軽巡洋艦・駆逐隊を中心とした艦隊を編成。綿密な天候予測のもと、視界ゼロの濃霧が発生した機を逃さずキスカ島に突入*6。見事に全将兵の収容・撤退に成功した。霧が晴れたアメリカ軍の前にはもぬけの殻の島だけが残った。*7
損害は皆無で、世界戦史上でも稀に見る撤退成功例と言えるだろう。
アリューシャン列島のキスカ島はアラスカに近く、アメリカ本土を脅かす位置にあり真っ先に反攻戦のターゲットに。お隣のアッツ島も守備隊が全滅し、キスカに陣取る日本陸海軍約1万名は完全に孤立してしまった。この状況を見た帝国軍大本営もついにアリューシャン放棄を決定。そこでキスカの将兵を救うべく「ケ号作戦」が発動された。
と言ってもキスカ島は制海・制空権を完全に奪われていた為、正攻法では撤退は不可能。そこで潜水艦によるピストン輸送が立案された。が、これはあえなく失敗に終わる。何度か収容は出来たもののあまりに運べる人員が少なすぎ、そうこうしてるうちにアメリカ海軍の哨戒に引っかかって潜水艦隊は壊滅してしまったのだった。
もはやこれまでなのか…と思われたが、ここで第2案。夏にキスカ周辺でよく発生する濃霧を利用した突入作戦が考えられたのだ。
スピード重視の軽巡洋艦・駆逐隊を中心とした艦隊を編成。綿密な天候予測のもと、視界ゼロの濃霧が発生した機を逃さずキスカ島に突入*6。見事に全将兵の収容・撤退に成功した。霧が晴れたアメリカ軍の前にはもぬけの殻の島だけが残った。*7
損害は皆無で、世界戦史上でも稀に見る撤退成功例と言えるだろう。
このページへのコメント
関係ない画像を貼るのはいいけど、カード情報のレイアウト崩すのはやめてね
関係無い画像貼るのは良いのか(震)
フランスの「ダイナモ作戦」でアレが思い浮かんじゃって草生えちゃった
余談の方が多くてわろた
某華族「これは撤退ではない。未来への進軍である!!」
ロイヤルにとっての希望の星みたいなもん