あれからようやく熱も下がった。あの子の看病のおかげでなんとか連休明けには回復できた。
ただ、風邪が治って以来まだあの子には会っていなかった。今会うと緊張してまともにあの子の顔を見ることができないような気がしたのだ。
あの子は、なんで私にあの時キスしたんだろうか。あの子は私のことをどう思っているのだろう。
とはいえ、お見舞いのお礼もしなきゃいけないしどうしよう……と授業合間の休憩時間に考えていると、教室の端の方で固まってる集団からなにかキャーキャーと騒いでいるのが聞こえてくる。
「え!?どこの人!?」 「いや別にそんなんじゃないわよ〜」
「ただちょっと気になってるだけよ、それに相手は女の子だし」
「なあんだ女の子かあ……」
どうやら恋バナに花を咲かせているらしい。
私は、どうなのだろうか。遠巻きに彼女たちの話を聞きながら、頬杖をついて思考を巡らせる。
あの子のことが好きなのだろうか。
実際、好きではあるだろう。しかしそれは友人として、という意味であるはずだ。
だって相手は女の子で、しかも後輩だし。ほかに何があるというのだろうか?
あの子も同じ気持ちであるはずだ。多分、私を純粋に慕ってくれているだけのはずなのだ。
唇に指先をあてて思案する。
お見舞いの時のあの子の顔が思い浮かぶ。結局あの時、彼女はどんな顔していたんだろうか。
自分の気持ちを整理する前に、あの子の真意を知るべきかもしれない。ただ直接聞くというのもさすがに恥ずかしい。
どうしようかと考えていると、一つの案を思いつく。思いついたままに私は図書館に足を運んでいた。
私は図書館をよく利用する方の生徒だった。お茶のお供によく本を借りるためだ。
そのためある程度どこの本棚に何があるかは把握している。目的の本を探すのにそう時間はかからなかった。
「――あ、あった。これなら載ってるかしら。」私が見つけてきたのは、いわゆる異文化交流について載っている本だ。
昔ちらっと読んだ程度だが、たしか歴史や食文化のほかに、その地域特有の挨拶や仕草についても載っているはず。パラパラとめくっていくと、
――あった。大きなケモノ耳を頭から生やした母親と子ども二人がハグをしている写真が載っている。獣人について書かれている項目だ。
適当にページをめくっていく。私たち人間にはあまり考えられないような文化について書かれていた。
例えば、仲のいい友達同士で尻尾を絡ませあうハグの仕方、そのほかには親しいもの同士の挨拶で鼻を互いに軽く押し付ける……いった感じだ。
獣人というのは人間よりも意外と距離感が近いのかもしれない。あの子の初対面の時の様子からは想像つかないけれど。
「あ。」探していたページが見つかった。
『額への口づけ』
どうやら親や目上の家族が、子供に対して親愛を込めたおまじない、ということが書いてある。
親愛、という言葉を頭の中で反芻してみる。
額を手で撫でる。たしかに、あの子に対して親愛の念がないということはないだろう。
私はあの子が好きで、あの子もきっと自分を好きなハズだ。でなきゃあんなことしないはず。
親愛。
悪くない響きだった。好きよりもちょっと上というか。
私たちの間には確かにその言葉がぴったりな関係な気がする。
つまりはこういうことか。
あの子は恐らく、普段の学園での生活ではやらないような、自分の文化でのあいさつを私にしてしまったにすぎない。
あの子はただ単に私との距離感を取り違えたに違いないのだ。
彼女が私に向けている感情がどんなものであるかを知ることが出来て安心した。だが、何となく気落ちしたような気もする。
ん?なぜだろうか。
まあいいか。気持ちの整理がついた今なら、あの子に会っても問題ない気がする。
そういえば夏は暑すぎて外にいられないから久しくお茶会も開いていなかったな。最近涼しくなってきたし、久しぶりに『親愛』なる後輩を誘ってみようかしら。
心のわだかまりがとけてすっきりした。今なら純粋な気持ちであの子に会いに行くことが出来そうだ。
授業が終わって庭の薔薇園の前であの子を待っていた。
最近は暑さもすっかり引いて、私の好きな白い薔薇が満開の季節になっていた。
今日は会う約束はしていないが、今までの経験からして今日はあの子がここで整備をする番のはずだ。
そして待っていると――よし。あの子がやってきた。彼女に手を振る。
「この間はお見舞い来てくれてありがとうね」
いつもは私の顔を見るとあの子は小動物のようにパっと笑顔を見せて近づいてきてくれる。だが今日のところは様子がおかしい。
私に気づくと手に持った庭の手入れ用具が入ったかごで顔を隠してしまった。
「え、ちょっと。どうしたのよ」
「あ、えと……」いつもは明るい彼女だが、声音からしてあんまり元気ではなさそうだ。どうしたのだろうか。
突然、意を決したように彼女がこっちをまっすぐ見てきた。目が少し涙目になっていた。
「その……この間はごめんなさいっ!」
「え」
なぜか謝られた。彼女は涙ながらに続ける。
「私たち獣人はちょっと普通の人よりも距離感が近いみたいで……学校に入ったばかりのときも距離感間違えちゃって友達に避けられちゃって……」
「いやそれは分かっ――」
「あれから癖が出ないように注意してたのにあの時はなんでか間違えちゃって……ここでは人に対してやっちゃダメって分かってたのに……お姉さまに嫌われたいわけじゃないのに……ごめんなさい……ごめんなさい……うわあああん!」
彼女は大きな声をあげて泣き出してしまった。
何とかして泣き止んでもらおうとしてもなかなか聞き入れてくれない。もう気にしていないよといっても、彼女は聞く耳持たずだった。
そんなに入学したての頃の失敗がトラウマだったのか。それとも、そんなに私に嫌われたくなかったのか。
「ああもう、わかってるわよ!もう気にしてないって!」
大きな声を出すと彼女はびっくりしてこっちを見てくる。毛を逆立ててはいるが、少しだけ泣き止んだ。
「ぐすっ……でもあの時私はお姉さまに対して失礼なことを……」
「図書館で調べてきたのよ。あなたたちの文化について」
私は図書館について調べてきたことを説明する。あの時の真意が気になって獣人のしぐさについて調べたこと、獣人の距離感が普通の人とは違うこと、あの行為にどういう意味があるかを知った今ではもう気にしてないことを説明する。
「だから、もうあなたも泣かないの!もう全然気にしてないんだから」
「うう〜お姉さまぁ……」
彼女を落ち着けるために抱きしめてやる。彼女の髪から花のような甘い匂いがした。
「ごめんなさいお姉さま……すごい迷惑かけちゃって……うう……」
「はいはい、もういいから」
頭をなでてやると、ひぐっひぐっと泣いて痙攣していた彼女の身体がだんだん落ち着いてきた。
落ち着いてきたところで身体を離して顔を見てみると、彼女の目元が真っ赤になっていた。
「もうあなた、涙で顔がグチャグチャじゃない……はいハンカチ」
落ち着きを取り戻したら今になって恥ずかしくなってきたのか、うう、と唸りながらも渡されたハンカチで目元を拭きだした。グズグズしながらハンカチで顔をぬぐう仕草がちょっとかわいいと思った。
ハンカチを返してもらう。彼女の方を見やると、目元はまだ充血していた。
落ち着いてはいるが、機嫌をうかがうような目線でじっ、とこちらを見つめている。
もう一度頭を撫でてやったらようやくえへへ、と笑顔になってくれた。機嫌がよくなってきたのか耳をパタパタしている。
一瞬まるでほんとのワンちゃんみたいだなと、不埒な考えが浮かんだ。いけないいけない。
まったく。調子のいい後輩なんだから。
「けど今回はほんとに迷惑かけてごめんなさい。お姉さまに嫌われたらどうしようって思って……」
この様子だとまだ気にしているのかもしれない。もうわたしはいいって言ってるのに。
ふと彼女を見ていたら思いついた。あの本には獣人同士の仲直りのしぐさも載っていたはずだ。
この間の意趣返しもこめてせっかくだし、彼女のやり方に合わせてみようかしら。
「ねえ。」
私は再び彼女に向き合う。
「どうしたんです?お姉さま」
彼女が親しげな表情こちらを見つめてくる。彼女の顎に手を添え軽く頬にキスをした。
「はい。もうほんとに気にしてないんだからね」
一瞬、彼女はきょとんとした表情だった。
が、気づいた瞬間、彼女はバッと後ずさりした。
「な、な、なんですかいきなりお姉さま!?」
「え!?いやその、あなたのやり方にちょっと合わせてみようかなって思っただけじゃないのよ!」
「いや人間同士はキスって恋人同士でしかしないものだと聞いてるんですけど!?」
言われてみたら確かにそうだ。冷静に考えてみたらなんで私は後輩の女の子にキスをしているんだ?あまり深く考えずに身体が動いてしまっていたのか?
いやいやいや、けど先に仕掛けてきたのはそっちのはずだ。何を私は焦っているんだ。
「だってあなたもこの前私にキスしてきたじゃないの!あなたたちの間では普通なんでしょう!?なんでされる側になった途端にそんなに照れてるのよ!」
こっちまで照れてきちゃうじゃないの、という言葉をなんとか飲み込む。
彼女は目を伏せ、顔を真っ赤にしながら言った。
「だってお姉さまなんだもん……」
え。
彼女は続けざまに言う。
「だったらなんで、お姉さままで顔が真っ赤になんですか!」
そこまで言われて、自分の頭に昇っている熱にようやく気付いた。
え、いやだって。
親愛なる後輩になんとなく、このあいだと同じやり方返してみようと思っただけで。他意はないはず。
けど私がキスしたのは、間違いなく私が彼女にキスしたいと思ったからで。
「あなたなんて耳まで真っ赤じゃないっ……!」
「だって、その……」
まんざらじゃ、ないですし……
彼女は消え入りそうな声でつぶやいた。今度は私も何も言わなかった。
庭園に静寂が訪れる。
なぜ熱を出した時、思い浮かんだのが彼女の顔だったのか。
どうして彼女が部屋を出ていこうとした時、ものすごく寂しい気持ちになったのか。
彼女にキスされた時、どうしてあんなに頭に熱が昇っているのを感じたのか。
彼女の笑顔を見たとき、どうしてこんなにも愛おしく感じてしまうのか。
なんとなく、分かった気がする。
「お、お姉さま……?」
私は彼女の頬に手を添える。
「あ――」彼女が瞼を閉じる。
私たちは唇を重ね合った。
彼女は拒否しなかった。
部屋の時と同じ、また静寂が流れる。
しばらくそうし合った後、唇を開放した。
「人間の恋人同士はね、キスっていうのはこうやって唇同士を合わせてするものなのよ」
気恥ずかしくて、彼女の目をまっすぐ見ないままで言った。心臓の音がうるさかった。
ちらりと彼女の方を見る。手で必死に、顔がにやけそうなのを隠していた。その仕草もなんだか愛おしく見えてくる。
きっと、私も彼女も今同じ気持ちを抱いているのだろう。
ああそうか。この感情は単なる友情や親愛だけで片付けられるものじゃない。この気持ちは――彼女に対して抱いているこの感情こそが――
自分の胸に焦がれている熱が一体何なのか。ようやく、この時になって私は気づいたのだ。