上述の考察を基に、新たなAFの段階とも言える
直接デッキに入れられるAFについて考えてみると、彼らの登場はAF文明の計画が最終段階に入ったことを意味するのではないだろうか。
直接デッキに入るということは、従来のように埋める・サーチする・手札に加える等といった一手間を掛ける必要がない…つまり、
人の手を介することなくAFが人類圏に存在することが出来るようになったということだと考えられるだろう。
その解釈の基、直接デッキに入れられるAF達のフレテキと実際のゲーム環境と構築の変遷を織り交ぜて見ていくと、AF文明の計画の顛末が読み取れてくる。
フレーバー的には、
パラダイムシフトを通じて人類の技術力を発展させたAF文明は、遂に計画の最終段階に移行する。
まずは
次元を超え、
遺物を装い、AFを人類圏に送り込む。
その結果、次第に人類圏の中にその影響を強く受けた者達が現れはじめた。ある者は
加速する進化の果てに、ある者は
己の弱さを克服する為に、自らの意志でAF文明に降ることとなった。
人類の技術を
学習したAF達はパラダイムシフト産のAF達と同様に攻撃性を増していく。
その攻撃性を目の当たりにしてもなお人類圏では、ある者は兵器の最適解を
それに求め、ある者は自らの野望の為に
その力を振るっていた。
また、AF文明の中には穏健派も存在したのだろうが、彼らの願いを託された
代弁者は、その造られた意味を知る由もなく無邪気に人類の支配下の
機構達に反逆を促す。
最終的に人類圏はAFで埋め尽くされることになったのではないだろうか。
ゲーム環境的にはなんと言っても
ララミアの存在が大きいだろう。バフという形ではあるが、初の直接デッキに入れられるAFとして生まれ変わった。彼女は常に
学習し
進歩することで
最適解を導き出す。その
最適解が早々に人類に見切りをつけ、AF文明に与することであるとしたら…。
パラダイムシフトの流れをくむ人類の技術の結晶とも言える彼女を、AF文明が手に入れた結果がこの直接デッキに入れられるAF達なのだろうか。
構築的には、弾を追うごとに直接デッキに入れられるAF達が占める割合が増えていき、CDB期のAFネメシスでは強力なシナジーを構築するためにデッキ内のフォロワーのほとんどをAFが占めることとなった。実際に過去環境では軽視されていた
多腕のAFは、CDB環境ではAFシナジーのために複数枚採用されていることがほとんどである。
従来の構築では非AFがAFを埋め、サーチし、強化するといった戦術を取っており、AF同士が作用することは限られていた。デッキに入れられるAFの登場はAFネメシスというデッキを、AFのAFによるAFのためのデッキに変貌させたのだ。
さらには、AFサーチの精度が落ちたり
デウスエクスマキナによる6枚ドローといった運要素も、もはや人類にはコントロール出来ない領域に達したことを意味するのかもしれない。
フレーバーにおいても、ゲーム環境・構築においても、いまや人類とAFの主従関係は逆転し、
絶え間ない進歩の末、意志あるものを遥かに凌駕している。
ここに
侵略は完了し、
最終目標は達成された。そして人類のすべてを
学習したAF文明は一つの結論へと辿り着いた。
人類は、学習しない生き物だと。
ん?
以上の解釈で
史上最強のネメシスフォロワーを見てみると、AF文明が永い時を掛けて成し遂げた、デッキを侵略するという偉業を一瞬で達成する程の実力を持つことが伺える。
神バハでも披露したその実力はシャドバでも衰えてはいない様子。
ほんまか?
人類のすべてを学習したAF達は繁栄を享受しその数を
増やし、蔓延る。
彼らの楽園は永遠に続くと思われたが、人類という共通の敵がいなくなった以上、
AF同士の対立が生まれることは明白だった。
意志あるものを越えるために使われていた進歩の力は、ただ敵対者を排除するためだけに使われるようになる。
進歩が発展を産み、発展が進歩を産むのであれば、破壊は衰退を産み、衰退は破壊を産む。
その
過酷な争いは、攻撃の手段である
父たる装置を破壊し、AFの力の源である
母たる機構を破壊した。
人類の僅かな
生き残りをも巻き込み、最後には己の
起源でさえ手にかける。
人類を排除したことで、
進歩の象徴であった
パラダイムシフトの供給も途絶え、それはAF本来の
最終目標すらも失わせることになった。
人類のすべてを学習したはずのAF文明が最期に見たものは、まるで人類のように互いの身を喰い合い、
神の意志が働いたかのように滅ぶ己の結末だった。